大阪地方裁判所 平成9年(ワ)3775号 判決 1998年5月13日
原告
高原健峰
右訴訟代理人弁護士
井上英昭
同
平方かおる
被告
黒川乳業株式会社
右代表者代表取締役
黒川直明
右訴訟代理人弁護士
角源三
主文
一 原告が被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
二 被告は、原告に対し、別紙賃金一覧表の賃金確定額合計欄記載の金員及び各金額欄記載の金員に対する各支払日欄記載の日の各翌日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、被告の負担とする。
四 この判決は、第二項につき、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 労働契約
(一) 被告は、昭和二七年に設立された、牛乳、乳飲料及び乳製品の製造販売等を業とする株式会社であり、従業員数は約一五〇名である。
(二) 原告は、昭和五九年四月一二日、本社配送係として被告に雇用され、昭和六〇年四月、被告豊中工場生産一課に異動し、牛乳の殺菌やコーヒー牛乳を製造する業務に従事していた。
被告には、昭和四七年に結成された関西単一労働組合黒川乳業分会(以下「分会」という。)が存在し、原告は、平成八年七月九日、分会に加入した。
2 賃金
(一) 被告における賃金は、毎月二五日締めの当月末日払いである。
(二) 原告の賃金月額は、平成八年七月一〇日以降平成九年三月までは三六万四八〇八円であった。
(三) 被告と関西単一労働組合(以下「関単労」という。)及び分会は、平成九年四月二一日、平成九年度の賃上げについて協定を締結し、右協定により、原告の平成九年四月以降の賃金月額は、三七万二二四一円に増額された。
(四) 原告の平成八年冬季一時金(支払日・平成八年一二月一〇日)は六〇万〇九六八円、平成九年夏季一時金(同・平成九年六月三〇日)は五八万九九二六円、平成九年冬季一時金(同・平成九年一二月一〇日)は六一万二八六八円であった。
3 訴えの利益
しかるに、被告は、原告を解雇したとして、原告が被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを否認している。
4 結論
よって、原告は、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認並びに別紙賃金一覧表記載の定期賃金・一時金及びこれらに対する各支払日欄記載の日の翌日から各支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1は認める。
2(一) 同2(一)(二)(四)は認める。
(二) 同2(三)のうち、被告と関単労、分会が、平成九年四月二一日、賃上げについて協定を締結したとの点は認め、原告の平成九年四月以降の賃金月額が右協定により三七万二二四一円に増額されたとの点は否認する。
3 同3は認める。
三 抗弁
解雇
1 解雇事由1―身体虚弱
(一) 被告は、従業員が病気に罹患し、又は傷害を負ったとき、生活の心配から解放されて治療に専念し、一日も早く職場復帰できるようにする趣旨で、昭和四八年三月二七日、関単労及び分会と、全従業員を対象とし、病気欠勤中も賃金の全額を支給する旨の協定を締結し、現在に至るまで、その旨の取扱いを継続してきた。
(二) 原告は、病気欠勤を頻発し、改善の兆しがなかった。原告の病気欠勤日数は、被告豊中工場で最も多かったため、被告は、業務の段取りをつけられない状態であった。原告は、病気欠勤を、ほとんどが、公休日をはさむ形かあるいはこれに連続する形で取得した。また、原告は、長期の病気欠勤時には、被告に対し、医師の作成した診断書を郵送するのみで、詳しい連絡をしなかったので、原告の上司である被告豊中工場生産一課課長市来純雄(以下「市来」という。)が、右診断書を作成した医師に電話をかけ、原告の症状や治癒の見込みを教えてもらわなければならなかった。
以上のとおり、原告は、病気欠勤を頻発し、しかもその病気欠勤制度を濫用したので、被告の会社秩序は混乱させられた。
2 解雇事由2―秩序混乱
(一) 原告は、平成八年三月中旬ころ、原告の担当する牛乳殺菌部門の後輩である髙橋信弘(以下「髙橋」という。)に業務上の連絡をせず、同人からそのことを指摘されるや同人の胸ぐらをつかんで怒鳴った。また、原告は、平成八年五月中旬、昼休みの交替時における業務引継に際して連絡、申し送りをせず、髙橋が原告に対してこれを求めると「ここで土下座したら申し送りしてやる。」等と怒鳴った。
(二) 原告は、前項記載のトラブル以外にも、以下のような問題行動があったため、日常的に同僚、後輩等と業務上の円滑なコミュニケーションを持つことができず、そのため、被告の業務に著しい支障を来した。
(1) 原告は、昭和六一年七月ころ、講師が気にいらないという理由で、被告の社員教育の一環である衛生講習会をボイコットした。
(2) 原告は、昭和六一年九月ころ、被告で全体朝礼とは別に行っている課内の朝礼をボイコットし、作業現場に直行するようになった。被告において、朝礼はその日の業務連絡や注意事項など仕事に密接に関連する事項を説明する重要な場であり、始業時間の午前八時から開始する業務である。当時の担当課長は原告の勝手な行動を注意し続けたが、むしろ反抗的な態度を示すだけで、従おうとはしなかった。
(3) 市来(当時被告豊中工場生産一係係長)は、昭和六一年一〇月下旬、従業員を対象とした検便(二か月ごとに実施)の提出期限が迫ったことから、その提出を促すため、未提出であった原告の名前を課内の朝礼で発表したところ、原告は、「皆の前で名前を発表するのはプライバシーの侵害だ、謝れ。」と抗議をした。市来は、原告に対し、検便の提出は食品工場に働く社員として全員の義務である旨を説明したが、原告は納得せず、その日以降、課内の朝礼時に、上司である課長や係長に対し、「謝罪はどうなったんや。」等と発言し、朝礼を混乱させ続けた。
(4) 原告は、昭和六二年六月ころ、殺菌係として勤務に従事していたところ、時間待ちで二階事務所に上がって息抜きをしていたとき、椅子に腰をかけて両足をもう一つの椅子に乗せ、うたた寝するような格好で休憩した。久保課長がこれを見とがめて、原告に対し、「勤務時間中だから、そんな格好はやめなさい。」と注意したところ、一言二言それに対して文句を言うだけで、反省の言葉はなかった。
(5) 被告の工場では、必要に応じ課長以上の管理職が幹部会を開催している。この会議で原告の協調性に欠ける態度が議題となったが、解雇するのではなく、原告へ説得を重ねてモラルの向上を期待するしかないと考え、上司である課長係長が原告へ説得を続けたが、原告は、上司に対しては反抗的態度をとり、あるいは聞く耳もたんという態度をとり続け、同僚へはわがままな態度をとり続けたため、被告は、原告を、殺菌係から配合係に異動させたり、また殺菌係へ戻すなどしたが、効果はなく、同じ状況であった。
(6) 原告は、年次有給休暇を取得するに際し、業務の都合や同僚への配慮も全く行わなかった。原告は、出勤、退勤時の挨拶さえ口にしなかった。
(7) 被告は、スーパー等の得意先を確保するため、日曜日も牛乳を製造して出荷することが必要であるので、従業員に休日出勤の協力を要請している。原告以外の従業員は休日出勤の必要性を理解し、各部署から毎回数名ずつ休日出勤のメンバーを組み、業務を遂行してきた。しかし、原告は、右休日出勤には協力しなかった。
3 解雇の意思表示
被告は、1、2の事実から、平成八年七月八日の定例役員会において、原告の扱いについて検討を重ねた結果、被告就業規則二九条一項(身体虚弱にして業務に堪えないもの)、三八条七項(しばしば会社の秩序を紊したもの)に基づき、原告を通常解雇することに意思決定した。被告取締役で豊中工場長の上坂勲(以下「上坂」という。)は、原告に対し、平成八年七月八日午後二時ころ、電話で「翌九日も自宅待機を命じ、一〇日には解雇通告を行う。」旨申し渡して原告を解雇する旨の意思表示をし、七月一〇日に解雇通告書を交付した。
四 抗弁に対する認否及び反論(解雇権濫用)
1(一) 抗弁1(一)は認める。
(二) 同1(二)のうち、原告が被告を病気欠勤したとの点は認め、その余は否認ないし争う。
原告の長期の病気欠勤の理由は、尿路結石、ヘルニア等の誰でも罹患する可能性のある一過性の病気であり、現在はそのいずれからも完治した。原告のその余の病気欠勤は、数か月に二、三日でしかなかったので、原告が業務にたえないほどの身体虚弱であったということはできない。
2(一) 同2(一)のうち、原告が、平成八年三月中旬ころ、髙橋の胸ぐらをつかんで怒鳴ったとの点、平成八年五月中旬ころ、髙橋に対し、「土下座しろ。」と怒鳴ったとの点は認め、その余は否認ないし争う。
原告が、平成八年三月中旬ころ、髙橋の胸ぐらをつかんで怒鳴ったのは事実であるが、これは、原告が通常一二ないし一五分間を要する作業に従事した際、髙橋から急かす必要もないのに急かされることがよくあり、原告はそのたびに作業の手を止めて連絡をしなければならず、かえって非能率であったことから、髙橋に急かさないように注意していたところ、その日は、髙橋は、原告が右作業に従事中、六分しか経過していなかったのに原告を急かしたので、原告が、これを髙橋に注意すると、髙橋が、計測して八分経ったので急かしたと嘘をついたため、原告は、腹が立って思わず同人の胸ぐらをつかんだものである。
また、原告は、髙橋に対し、平成八年五月中旬ころ、土下座せよと怒鳴ったのは事実であるが、これは、髙橋が用意するべきショーリパックを用意していなかったため、原告がどうしたのかと尋ねたところ、髙橋は、真実は用意するのを忘れていたにもかかわらず、「確かに用意した。(原告らとは)別の部署であるクリームの担当の者が使ってしまったのではないか。」と嘘をついたことがわかった。原告は、かねてから髙橋には「仕事上のことで嘘をつかれると、作業に影響するから、嘘はついてくれるな。」と注意していたこともあり、腹が立って「土下座して謝れ。」と言ったまでのことである。
以上のように、右の各トラブルは、そもそもの発端は髙橋に責任があるし、いずれも一、二分で終了したものであるから、これをもって解雇事由とすることはできない。
(二)(1) 同2(二)(1)のうち、原告が衛生講習会を欠席したことがあったことは認め、その余は否認ないし争う。
原告は、被告で行われた衛生講習会を欠席したことがあったが、被告では、同一内容の衛生講習会を水曜日と金曜日の二回行っており、原告は水曜日の衛生講習会は欠席したものの、金曜日の衛生講習会には出席した。
原告は、かつて被告の第二組合である黒川乳業労働組合(以下「黒川乳業労組」という。)に加入していたが、昭和六〇年一〇月ないし一一月ころ、黒川乳業労組を脱退して分会に加入した。右衛生講習会の講師の橋本は、自らは黒川乳業労組の組合員であったことから、原告の右行動を見て、原告をスパイ扱いした。原告は、これに腹を立て、右衛生講習会を欠席したものである。
(2) 同2(二)(2)は否認ないし争う。
(3) 同2(二)(3)のうち、原告が、市来に対し、検便未提出者として名前を呼び上げられたことについて抗議をしたとの点は認め、その余は否認ないし争う。
原告が、市来に対し、検便未提出者として名前を呼び上げられたことについて抗議をしたのは事実であるが、原告は一人で抗議したのではなく、分会として、他の分会員とともに抗議をしたものである。
原告は、当時下痢で検便を提出することができなかったのであるが、その当時までは、検便を提出しなかった従業員の名前が呼び上げられることはなかった。被告は、当時、会社再建の名のもとに、徹底した合理化、労働強化策を採っていたが、分会はこれに反対し、黒川労(ママ)組はこれに協力してきた。市来が、検便未提出者として原告の名前を呼び上げたのは、原告が分会に加入したことに対する嫌がらせとしてなされたのである。原告はこれに対して、分会として抗議したのである。
(4) 同2(二)(4)は否認ないし争う。
(5) 同2(二)(5)のうち、被告の幹部会の存在及びそこにおける協議内容は不知、その余は否認ないし争う。
原告が配合係へ異動したのは、配合係の従業員が退職したためであり、原告が殺菌係へ戻ったのは、新入社員が配合係の業務を遂行することができるようになったためである。
(6) 同2(二)(6)は否認する。
被告豊中工場での年次有給休暇の取得については、まず工場の事務所にある黒板を見て、自分が有給休暇を取得したい日に他の従業員が取得する予定でないかを確かめ、もしなければ係長に伝えて黒板の当該日のところに年次有給休暇を取得する旨記載してもらい、その後年次有給休暇願を提出するという扱いになっている。自分が年次有給休暇を取得したい日に他の従業員が既にこれを取得する予定となっている場合には、係長を通じてその人に譲ってもらうか、諦めるというシステムになっている。原告は右のシステムに従って年次有給休暇を取得していたのであり、原告が先に取得していた年次有給休暇の予定日を、他の従業員に譲ったこともあった。
原告は、他の従業員と普通に会話をし、挨拶をしていた。
(7) 同2(二)(7)は否認する。
原告は、平成七年に椎間板ヘルニアに罹患して長期の病気欠勤をする前は、休日出勤をしていた。原告は、ヘルニアから完治して職場復帰したときに、市来から休日出勤をするよう要請されたが、休日出勤は被告と黒川労(ママ)組が取り決めたことであるのに、当時、黒川労(ママ)組組合員の中にも休日出勤をしない従業員が複数いたので、原告が市来に問いただすと、市来はその従業員らが休日出勤に協力すれば原告も休日出勤に協力するのかと原告に尋ね、原告はこれに協力する旨答えた。しかし、その後、黒川労(ママ)組組合員全員が休日出勤するようになったわけではなく、原告は、市来から休日出勤の要請もされなかったので、原告は休日出勤しなかったまでのことである。
そもそも被告は、いわゆる三六協定を締結しないので、従業員には休日出勤の義務はない。
3 同3のうち、上坂が、原告に対し、平成八年七月一〇日、原告を解雇する旨の解雇通告書を交付した点は認め、被告が原告解雇の意思決定をしたのが平成八年七月八日であったとの点は不知、上坂が平成八年七月八日に原告を解雇する旨の意思表示をしたとの点は否認する。
五 再抗弁
労働協約違反
被告と、関単労及び分会とは、昭和五〇年五月一三日、被告が従業員を解雇する場合には、分会との事前協議を十分に行う旨の労働協約を締結した。しかるに、被告は、原告を解雇するに当たり、分会との事前協議を行わなかった。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁は認める。
七 再々抗弁
労働協約の失効
1 被告は、昭和五三年三月一〇日、長谷川岩雄を解雇したが、分会から事前協議の要求はなく、現実に分会と協議しなかった。また、分会と協議しないことで、分会から抗議を受けたこともなかった。
2 被告は、平成七年一〇月二〇日、分会と事前協議を行うことなく、若井和也を解雇した。これに対して分会は不当解雇であると抗議し、平成七年一一月二五日に抗議文及び要求書を提出したが、分会が不当解雇として主張したのは解雇理由だけであり、事前協議については一切抗議しなかった。
3 被告は、事前協議条項を規定した労働協約が締結された昭和五〇年五月一三日から原告を解雇した平成八年七月まで、右の二名のほか、北口昭文、芝敬三、藤原進、川崎敬司、山出正夫、北野正喜、稲田政幸、曽我部勝の合計一〇名の従業員を解雇したが、そのいずれについても、分会から事前協議の申出はなく、現実に被告と分会は事前協議をしなかった。
4 したがって、右労働協約は、既に失効したというべきである。
八 再々抗弁に対する認否
再々抗弁1ないし3は認め、4は争う。
被告は、昭和五〇年五月一三日から平成八年七月までに、再々抗弁1ないし3記載の一〇名のほかに、高橋洋子を解雇した。分会は、高橋洋子が被告に対して従業員地位確認請求訴訟を提起したので、その訴訟の場において、被告に対し、右解雇が事前協議条項に違反したものであると抗議した。
また、そもそも、分会が被告と事前協議条項を含む労働協約を締結した趣旨は、被告が分会の組合員に対する恣意的な解雇を防止することにあったところ、被告に解雇された者のうち、長谷川、芝、藤原、川崎、山出、曽我部、稲田は、被告の金銭を横領したことを理由として解雇されたものであったので、恣意的な解雇ではないことが明白であったし、北口、北野は黒川労(ママ)組の組合員であり、若井は非組合員で、いずれも分会の組合員でないばかりか、分会は、同人らが被告から解雇された旨を解雇後かなりの時間が経過してから知るに至ったのである。
以上のとおり、分会は、右のいずれの従業員においても、事前協議条項の趣旨からして、右従業員の解雇について事前協議をする必要がない場合に該当したと判断したので、被告に対し、右解雇について事前協議を要求しなかったし、かつ、右事前協議がなかったことについて抗議をしなかったのである。
したがって、分会が、被告に対し、同人らの解雇について事前協議の要求をせず、かつこれをしなかったことについて抗議しなかったことをもって、右労働協約のうちの事前協議条項が失効したということはできない。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これらを引用する。
理由
一 請求原因1(労働契約)、同3(訴えの利益)について
請求原因1、3は当事者間に争いがない。
二 抗弁(解雇)1(解雇事由1―身体虚弱)について
1 当事者間に争いがない事実及び(証拠・人証略)並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。
(一) 被告は、昭和四八年三月二七日、関単労、分会と、すべての被告従業員を対象として、三日間までの病気欠勤については自己通告による病欠届、四日間以上にわたる病気欠勤は医師等の診断書を添えた病欠届を被告に提出すれば、その病気欠勤中は、賃金の減額をしない旨の協定を締結し、現在まで、全従業員を対象として、右取扱いを継続してきた。
(二) 原告は、平成元年から平成八年七月一〇日までに、合計二四一日間病気欠勤した。原告に次いで病気欠勤日数の多い従業員の病気欠勤日数は、五八日間であった。
(三) 原告の平成五年から平成八年までの病気欠勤及び診断書の提出の状況は、以下のとおりである。
(1) 平成五年六月二一日(金)、二二日(土)
風邪(診断書なし)
(2) 平成五年八月一六日(月)ないし二一日(土)
腰痛(診断書・<証拠略>)
(3) 平成六年七月七日(木)ないし九日(土)、一一日(月)ないし一六日(土)、一八日(月)ないし二三日(土)
尿路結石(診断書・<証拠略>)
(4) 平成六年九月一九日(月)
風邪(診断書なし)
(5) 平成六年一二月一二日(金)、一三日(土)
風邪(診断書なし)
(6) 平成七年三月九日(木)、一〇日(金)
風邪(診断書なし)
(7) 平成七年四月六日(木)ないし一八日(火)、二二日(土)
頸椎椎間板ヘルニア(診断書・<証拠略>)
(8) 平成七年五月九日(火)ないし平成七年一〇月三一日(火)
ヘルニア(診断書・<証拠略>)
(9) 平成七年一二月九日(土)、一一日(月)
アルカリ性角膜損傷(診断書・<証拠略>)
(10) 平成八年二月二九日(木)、三月一日(金)
風邪(診断書なし)
(11) 平成八年六月二二日(土)、二四日(月)
風邪(診断書なし)
(12) 平成八年六月二九日(土)、七月一日(月)、二日(火)、四日(木)、五日(金)
急性上気道炎(診断書・<証拠略>)
(四) 原告は、病気欠勤した場合には、その初日に被告に病気欠勤をする旨の連絡をし、病気欠勤が四日以上にわたる場合には、被告に対し、医師の作成した診断書を提出した。
2 以上の事実によれば、原告の病気欠勤日数は、他の従業員に比して多かったものの、右病気欠勤のうちの長期欠勤の原因は、尿路結石、椎間板ヘルニア等、いずれも自己の健康管理では予防しきれない疾病で、原告が右各疾病に罹患したこと自体はやむを得ないものである。しかも右各疾病はいずれも一過性のものであって、原告は、現在、そのいずれからも完治したことが認められる。また、原告は、(三)(1)、(4)ないし(6)、(10)、(11)のとおり、いずれも風邪を理由として、公休日をはさむか、これに連続して短期の病気欠勤を取得したが、その頻度、合計日数をみるに、平成五年から平成八年までの約三年間に、六回、合計一一日間にすぎなかったことからすると、一般人に比して特に風邪に罹患した頻度が高かったともいえないし、風邪による病気欠勤日数も著しく多かったということはできない。
したがって、原告が身体虚弱で業務に耐えられないものであるということはできない。
また、被告は、原告の病気欠勤が他の従業員に比して最も多かったこと、原告の短期の病気欠勤がいずれも公休日をはさむか、これに連続するものであったこと、原告が長期の病気欠勤をする際、診断書を被告に郵送するだけで原告からは連絡が全くなかったことから、被告としては、業務の段取りをつけられない状況となっていて、病気欠勤制度の趣旨に反すると同時に被告の秩序を乱すものであったと主張するが、右認定によれば、その休暇の取り方には、一部において、不自然さは免れないものの、原告が病気欠勤制度を濫用したとまでは断定できないし、原告は、病気欠勤の初日には病気欠勤する旨の連絡をし、長期の病気欠勤をする際には、医師の作成した診断書を提出したのであるから、被告は、これを前提に業務の段取りをつけることが可能であったというべきであって、原告が、右病気欠勤に起因して、被告の秩序を乱したとまではいえない。
したがって、解雇事由1はいずれも理由がない。
三 抗弁(解雇)2(解雇事由2―秩序混乱)について
1 抗弁(解雇)2(解雇事由2―秩序混乱)(一)について
(一) 解雇事由2(一)のうち、原告が、平成八年三月中旬ころ、髙橋の胸ぐらをつかんで怒鳴り、平成八年五月中旬には、昼休みの交代時における業務引継ぎに際し、「ここで土下座して謝れ。」等と怒鳴ったとの点は、当事者間に争いがない。
右認定によれば、原告は、性格的に短気で、粗暴というべき一面が存することは否定できないが、(証拠・人証略)によれば、被告は、原告に対し、右各トラブルを理由として懲戒処分をし、始末書の提出を求めたり、注意を与えたこともなく、そればかりか、原告を呼び出して事実経緯を詳細に調査し、処分を検討する等の行動も採らなかったことが認められ、その後に右各トラブルに起因してさらに特段の支障が発生したと認めるに足りる証拠がないことを併せ考慮すると、右トラブルにより被告の業務に著しい支障を来したと認めることはできない。
(二) したがって、解雇事由2(一)はいずれも理由がない。
2 抗弁(解雇)2(解雇事由2―秩序混乱)(二)について
(一) 被告は、原告が衛生講習会をボイコットしたこと(解雇事由2(二)(1))、課内の朝礼をボイコットしたこと(同2(二)(2))、検便を提出しなかったこと(同2(二)(3))、時間待ちの間にうたた寝するような格好で休憩したこと(同(二)(4))により、被告の業務に著しい支障を来したと主張する。しかし、右の原告のいずれの行動も、昭和六一年ないし昭和六二年という、本件解雇から約一〇年も以前のことであり、原告が、再度同様の行動を採ったとは認められないことからすると、これらを理由として原告を解雇することはできないというべきである。
(二) 被告は、原告が自己の主張を貫いて年次有給休暇を取得したことにより、被告の業務に著しい支障を来したと主張する(解雇事由2(二)(6))。
しかし、年次有給休暇は、労働基準法三九条に規定された法律上の権利であるから、原告がこれを取得したとしても、それ自体に責められるべき点はなく、したがって、たとえ原告が年次有給休暇を取得したことによって被告の業務に著しい支障を来したとしても、これを理由として原告を解雇することはできないというべきである。
(三) 被告は、原告が被告からの休日出勤の協力要請に従わなかったことにより、被告の業務に著しい支障を来したと主張する(解雇事由2(二)(7))。
しかし、被告と分会が労働基準法三六条に基づく時間外・休日労働協定(いわゆる三六協定)を締結したと認めるに足りる証拠はなく、(人証略)によれば、被告が原告に対して業務命令として休日の出勤を命じたことはなかったのであるから、右協力要請は、単に任意に協力を求めるという以上の意味を有しないので、原告がこれに応じる義務はなく、たとえ原告が右協力要請に従わなかったことにより被告の業務に著しい支障を来したとしても、これを理由として解雇することはできないというべきである。
(四) したがって、解雇事由2(二)は、いずれも理由がない。
3 以上の事実によれば、被告の抗弁(解雇)は、理由がない。
四 請求原因2(賃金)について
1 請求原因2(一)(二)(四)について
請求原因2(一)(賃金の締日・支払日)、同(二)(平成八年七月一〇日以降平成九年三月三一日までの賃金月額)、同(四)(平成八年冬季一時金額、平成九年夏季一時金額、平成九年冬季一時金額)は、当事者間に争いがない。
2 請求原因2(三)(平成九年四月一日以降の賃金月額)について
当事者間に争いのない事実及び(証拠略)並びに弁論の全趣旨によれば、請求原因2(三)のうち、被告と関単労、分会は、平成九年四月二一日、平成九年四月度賃金支給日(平成九年四月三〇日)に被告に在籍する分会員を対象とし、平成九年度の賃上げ等について協定を締結したこと、右協定によれば、入社後六年を経過した従業員で、満二四歳から満四四歳までの者については、賃上げ額を基本給月額の二・二パーセントとし、住宅手当を一〇〇〇円増額する旨規定されたこと、原告は、平成九年四月一日時点で満四〇歳で被告入社後一二年を超えており、基本給月額は二九万二四一五円であったことが認められる。
以上によれば、原告の平成九年四月以降の賃金月額は、次の計算のとおり、三七万二二四一円であると認められる。
(平成九年三月までの賃金月額)+(平成九年度三月までの基本給月額)×(賃上げ率)+(住宅手当)
=三六万四八〇八円+二九万二四一五円×〇・〇二二+一〇〇〇円
=三七万二二四一円(一円未満切捨て)
3 したがって、請求原因2は、いずれも理由がある。
五 結語
以上の事実によれば、原告の請求はいずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して(なお、仮執行免脱宣言は、相当でないのでこれを付さない。)、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 森鍵一 裁判官長久保尚善は、転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 中路義彦)
《別紙》 賃金一覧表
<省略>